去る5月10日にRADWIMPSのニューシングル『サイハテアイニ / 洗脳』がリリースされました。
先行配信されていた「サイハテアイニ」に続き、僕も早速「洗脳」を購入。
「サイハテアイニ」についてはRADWIMPS「サイハテアイニ」の意味について漢字を充てて考えてみた。で考察してみました。
さて、RADWIMPSと言えば歌詞ですね。
自分ではとても考えつかない視点からの歌詞に、いつも驚かされます。
今回の「洗脳」も漏れなく深く考えさせられました。
MVが公開されてますので、皆さんもまずは聴いてみてください。
ということで、「洗脳」を聴いて考えた「幸福と信仰」と「天使と悪魔」について記そうと思います。
「洗脳」で歌いたいことは何なのか
この曲でRADWIMPSが歌いたいことは、何なのでしょうか。
印象的なフレーズをピックアップしてみましょう。
まずは、歌い出し。
俺が病気だって言える根拠なんかあんのかい
別にあんた喜ばすために生まれてきたわけじゃない
あんたとてそうでしょう
臭いものに蓋しよう
信じたいものだけを信じてきたんでしょう?
引用:洗脳/RADWIMPSより
そしてサビでは、こう歌います。
信じたっていいでしょう?
違ってたって何なの?
だからっていいことがあるわけじゃないんだし
幸か不幸かどうかは
僕に決めさせてよ
引用:洗脳/RADWIMPSより
この2箇所に、この曲で言いたいことは詰まっていると思います。
つまり「信仰と幸福」について。
何を信じるかは、その人の自由。
何を幸せと感じるかも、人それぞれ。
だから「他人のことは放っておけ!」「俺のことは放っておいてくれ!」ということなのだ。
ということで、この「洗脳」という曲は「何を信じるかは自由、人それぞれ。自分が幸せならば、それで良いのだ!」という曲です。
以上。
・・・。
果たして本当にそうでしょうか?
ポジティブなメッセージとは間逆の楽曲
「何を信じるかは自由、人それぞれ。自分が幸せならば、それで良いのだ!」
文面だけを見ると、すごくポジティブなメッセージです。
しかしこの「洗脳」からは、非常に暗くダークな印象を受けます。
そもそも、本当にポジティブなことを歌いたいなら、タイトルだってもっとポップで明るいものを選定するでしょう。
少なくとも僕はこの曲を聴いて、前向きにはなれないなぁ。
主人公は誰か?
何かを「信じる人」の目線で、物語は展開されます。
つまり「洗脳された人」。
誰かに騙された経験のある人がこの曲を聴いたら、寒気がするのではないでしょうか?
それは、この歌詞があまりにも騙されていた当時の自分の考え方と似通っているからではありませんか?
洗脳されていることって、本人には気づきようがないんですよね。
家族にも話しました ダメでした
はみ出したのは僕の方だなんて言われて
僕は我を忘れて殴りました
殴り続けました
そしたら母は遂に動かなくなったのです
あなた様の敵は私の敵であるのです
たとえそれが血のつながった肉親であろうと
許すわけにはいかないのです
引用:洗脳/RADWIMPSより
いやいやいや、どう考えても常軌を逸してます。
正気の沙汰ではございません。
つまり、洗脳されることに警鐘を鳴らしているように思えるんですよね。
天使と悪魔について
洗脳されている人からすれば、この曲は天使のような曲でしょう。
だって、自分のことを正しいと歌ってくれる歌だから。
洗脳されていたことに気づいた人からすれば、この曲は悪魔のような曲でしょう。
だって、洗脳されていた当時の自分の考え方を投影したような歌だから。
人によって受ける印象は間逆。
正に天使と悪魔。
ジャケットが天使と悪魔になってるのは、サイハテアイニ(天使)と洗脳(悪魔)のイメージをビジュアル化したそうですが、それだけの理由だとは思えませんなぁ。
おわりに
「信じることを賞賛する」歌でもあり、「洗脳を批判する」歌でもあると思います。
結局のところ、自分の人生に責任をもつのは自分である。
これがこの曲の真のメッセージではないでしょうか。
どうやって生きていくかについては、
幸福のための人生戦略~橘玲『幸福の「資本」論』を読んでの感想~や、あなたの生きる意味を教えてください。という記事で考えてみました。
皆さんの感想も是非教えてください。
いずれにせよ、「サイハテアイニ」も「洗脳」も素晴らしい曲であることに違いありません。
おしまい。