BUMP
突然ですが皆さん、BUMP OF CHICKENの「カルマ」という曲をご存知でしょうか?
10年以上前に発売され、バンプとしては「天体観測」に次いで売れた曲です。
めっちゃ売れました。
僕はこの「カルマ」が大好きです。
どのくらい好きかというと、自分の所持する全メールアドレスにカルマ(karman)を含めるくらいには大好きです。
「あぁ、常にカルマとともにいるわ。カルマと共にあらんことを」
とか思ってました。
どのくらい好きかというと、数年の間、毎年12月31日の23時59分から部屋を真っ暗にして、イヤホンにカルマを流して新年を迎えていたくらいには変態的に好きです。
「あぁ、今年もカルマと新年を迎えたわ、いい年になるわ」
とか思ってました。
どのくらい好きかと言うと、高校時代の卒業アルバムの「一言コメント欄」に
「between 1 and 0」
と書くくらいには変態的に好きです。
「あぁ、1と0の間はやっぱり大切だわ」
とか思ってました。
変態ですね。
そんな思い出の一曲である「カルマ」ですが、歌詞の意味が難しく、当時(中学生)の僕にはさっぱりわかりません。
それもそのはず、この曲は「テイルズオブジアビス」というゲームのために書き下ろされた曲。
つまり、ゲームをやってみないと歌詞の意味なんてわかるわけないんです。
しかし若かりし頃(中学生)の僕は、こう思いました。
「いやいやいや。ゲームとかやらなくても、わかるから。真のバンプファンなら、ゲームとかやらなくても歌詞の意味わかるから!!藤くんのこと理解してるから俺!!」
いやあ、痛いですね。
しかしこの「ゲームやらなくてもカルマの意味わかる俺」状態は未だにキープしておりまして、つまりテイルズオブジアビスを僕はやったことありません。
そんな僕が、いかにこの「カルマ」という曲を理解しているか見せつけたくて、本日筆を執った次第です。
「カルマ」歌詞一行一答
ガラス玉ひとつ落とされた 追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる
これは生と死についての歌詞だと思います。
僕はたまたま運よく生まれただけで、自分でない誰かが自分として生まれていたかもしれない。
だから、命に感謝しようねっていう。
哲学的ですね。
心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る
奪われない様に 守り続けてる
これも生と死についてでしょう。
生まれたからには、必死に生きているんだよと。
汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる
「何が本当かわからない」状態を歌っているんだと思います。
そんな状況であがく命は美しいんだ、そんな想いが読み取れます。
必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ いつだって読んでるから
くたびれた理由が重なって揺れる時
生まれた意味を知る
必ず待っている人がいるから、死ぬことを恐れるなと。
恐れず行動していきなさいと。
そう言っていると思います。
存在が続く限り 仕方ないから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない
「誰も生んでくれなんて言ってねーし!!」そんな思春期の叫びが聞こえてくるようです。
ガラス玉ひとつ落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた
生まれたくてもそうできない命だってあるんだから、そんなこと言わずに生きてみなさいと。
そういうお母さん目線ですね。
数えた足跡など 気付けば数字でしかない
知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間
これ、一番好きな歌詞です。
なにせ卒アルに残すくらいですからね。
「何かを始めようと思った時、そして実際に1歩を踏み出した時。その初心(1と0の間)が一番大事なんだよ」と。
そのあとにいくら実績を上げようが、最初のピュアな想いを忘れてはいけないんだよ、と。
とても大切なメッセージが、込められている気がしてなりません。
おわりに
歌詞はまだまだ続きますが、一番書きたいことを書けたので終わりにしたいと思います。
知らなきゃいけないことは、どうやら1と0の間ですよ、皆さん。
僕は冒頭で「テイルズオブジアビス」をやったことがないと書きました。
これは本当です。
しかし、僕の周りには
「テイルズオブジアビスやんねーとカルマの意味わかるわけないじゃん!!あのな、テイルズオブジアビスは〇〇〇っていうストーリーで・・・」
と、ゲーム内容を親切心で教えてくれた人がいます。
内心キレましたが、僕は知ってるんです。
「かわいそうだから教えてあげなくちゃ。そんな良心で、この子は教えてくれたんだな。これが、彼にとっての1と0の間なんだな。許さないとな」
そう、「1と0の間」を知ってるんです。
魔法の言葉ですね。
僕は彼を許しましたが、みなさんはネタバレにはくれぐれも注意しましょうね。
おしまい。